赤石の碑 地名の由来 明石

 昔々、神出雄岡山(現在の神戸市西区神出町)に仲の良い狩人の夫婦が住んでいました。ある日、夫は、小豆島に住む美女に恋をしてしまいました。 それからというもの、夫は毎日鹿の背に乗って海を渡り、美女の元に通い続けていました。
 妻はこうした夫の姿を見て、悲しみに明け暮れていましたが、ある夜、夫が死ぬ不吉な夢を見ます。 あくる日も夫が小豆島へ出かけようとしたので、妻は「災難に遭うかもしれませんから、今日は行かないでください」と必死に引き止めました。

 しかし、夫はそんな妻を振り切って、いつものように鹿に乗り出かけてしまいました。 ちょうど、林崎の沖合いに差し掛かった頃、丘の上にいた狩人が海を渡る鹿を見つけ、矢を放ちました。
  鹿に矢が命中し、夫も鹿と共に溺れて死んでしまいました。この死んだ鹿の血が赤い石となって海中に沈み、ここから「赤石」→「明石」の地名が起こったと伝えられています。



 赤石川(東松江川)の辺りに「赤石川と赤石」の標柱が立っており、2008年8月27日に、水深約2.5m、約130mの沖合いに赤石が確認されています。大きさは縦約1m、横約1.7m、高さ約0.7m。表面は海草などで覆われていますが、岩肌は赤い。

 1987年の調査では「赤石」の正体は黒御影石と判明しています。(明石市調査による。) 江戸時代から戦前までは「赤石見」と言われ、船に乗って赤石を見物したとか
 かの豊臣秀吉も三木合戦の後、見物に立ち寄ったと伝えられています。

 また、この赤石が「明石」の地名の由来として有名ですが、他にも様々な説があり、潮流のある土地を意味する説や近畿の入り口に位置する明石市は、夜に西の方から見ると「明るい土地」説、海岸の土が赤っぽい「赤磯(あかし)」説などがあります。 明石観光協会より

赤銅色の岩肌がのぞく
1987年 明石市調査
海底に海藻をまとっている赤石
2008年 神戸新聞 確認
整備されてます

        

「赤石の碑」まで弊店より南西約10分



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